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[日記ログ]

[020110311]



02013.08.05【俺式】
世界よ、こんばんは、おはようございます。
ほんとにぎりぎりになるまで何にも更新しなかったんですが、この「はしくれ工房」を置かせていただいてるプロバイダさん、アニーインターネットが2013年8月5日のAM10:00頃、それってまあ今日なんですが、その日時をもってホームページ事業を終了するとのことでして。
そういったわけで、ひとまずこのサイトは閲覧ができなくなります。

1997年12月10日から始めたこのサイトですが、まあ自分で消さない限りはずっとweb上のどこかに残り続けるだろうとかうっすら思っていたんですが、考えてみれば借家みたいなものですもんね。住む場所がなくなればしょうがないです。

このアドレスでのこのホームページは、これでインターネットじゃなくなります。
「ここはインターネットですか?」「いいえ、違います」
本当に長い間、ご愛顧頂いたり頂かなかったり、閲覧して頂いたりして頂かなかったり、まあ、そんなちっぽけなことはどうでもいいんですよ! どうもありがとうございました!

とは言ってもツイッターやらピクシブやらもありますし、独自ドメインも10年前ぐらいに取ってるのでそちらに移行もできますしするつもりです。
が、やっぱりこれは一区切りなんだなーと。こうやってテキストエディタでやっている手打ちHTMLも好きだけどたぶん結構めんどくさいし、移行後はブログにするかソーシャル使ってちまちまやるか、やらないか、になると思います。そのへんはツイッターあたりでまたお知らせいたします。

いや実際、一体どれだけの方の目にとまるか知れないような場所でこうしておっさんが独りで感慨にふけっておりますが、このホームページが自分の中でものっそい大きな存在だった時期というのがとても長くて、この場所を通じて知り合った方、世界、それはとてもこの50MBというアニー鯖のホームページ容量には収まらない大きさです。

というか50MBって(笑)。や、15年前ぐらいだとその容量でも「お、結構すごいじゃないのさ」ってなってたんですよね。100MBとかだともう「バカじゃないのそんなに使い切れんのwww」って感じでした。そうでもなかったかしらん。

まあこういう昔話はいいや、とにかくここを起点にして広がった世界はちょっと数字じゃ表せないぐらいの広さです。
閉鎖前にいろいろ更新しようと思っていたんですが力不足でした。すみませんぬ…。

  +  +  +

で、いろいろはできませんでしたが、最後なので、『俺式:温泉型宇宙論2013』というのを語ろうと思います。いきなりですが、脈絡とか意味はないです。
話がいろいろ長くなると思いますが可能な限りお付き合い頂けると幸いです。

たまーに近所の温泉行って、湯船につかりながら思いつきで考えてることなんですけども。
ちなみに温泉は埼玉某所です。大好きなんですよ、あの温泉! ちっちゃいんだけど、湯から出た後のあのゆるい時間がたまらなく好き…大好き! もう好き!! ふんぬぐ!!!

で、あれです。
なんで温泉と宇宙が結びついたかっていうと、最初は

「湯船に入ってるおっさんたちの配置って、夜空の星の配置とよく似てるよね」

という事実に気づいたからでした(榎本俊二の『ムーたち』っていう漫画を思い出したのは言うまでもありません)。
なに言ってんのかちょっとわかりませんね、って感じなんですが、ここから妄想という名のストーリーが始まります。
まとまりのない論述につき合わされる側はたまったものではありませんが、なぁに、フフ……ここは俺のチラシの裏さ。
(すいません好き勝手書かせていただきます)

はい、まあ図にするとこういった感じなんですが、こういうランダムな感じっていうのは例えば絵を描くときに自然物を違和感なく配置するためのゆらぎ、とかそういうことにも共通するような重要なことだったりします。きっと。たぶん。いつも苦労してます。

湯船のおじさんは2〜3人隣り合ってたり、それぞれ適当な距離をとってたりします。本人たちに色々意図はあるでしょうけど、結果的にそういう配置になっています。

そこに思い至ると、僕は「エウレーカ!」と叫んで湯船から飛び出しました。(フィクションです)

このおっさん配置がきっかけとなり、おっさんが星なら、では仮に「この湯船=いま僕らが生きている宇宙」だとしたら…と考えが進むのは自然なことでした。

妄想実験開始です。

湯船の底に沈んでる見えないぐらいにちっちゃい沈殿物を、仮に地球とします。その表面にはざっと70億のちっっっちゃい人々と多くの動植物が生きています。そうするとおっさんたちは銀河とかダークマターとか、まあとにかくもっとスケールの大きな存在になるわけですが、ひとまずは同じ湯船の中の存在です。

現状、現実の僕らは地球の上で暮らしています。まあいろいろな人たちが様々な場所で肩身の狭い思いを強いられていたりしますが、まだわりと充分な大きさを持つ惑星です。仮に倍の広さがあっても狭いと思う人には狭いと思うので、この場合その辺の大きさについてはまあいいや、とします。

重要なのは、とにかく湯船の広さに比べたら、見えないぐらい小さい沈殿物なんてどこにあるのかもわかりません、という点です。

これは宇宙論なので、まずは「宇宙の広さ」ということから論を展開していこうと思います。
現代の宇宙論において、宇宙のだいたいの年齢、みたいな数字は算出されてきています。されてますよね?

や、実際のとこ、宇宙論といっても僕はNewtonとかそのへんの本とかを読んで得た知識ぐらいしかないし、そもそもこれから書くことって科学的事実とか一切無視した俺式の内容なので間違っていることの方が多いと思います。だがここは俺のチラシの裏なので押し通る。すみません。昔のNHKスペシャルのアインシュタインロマンが大好きで人生変えられたような人間です。

押し通します。宇宙は無のゆらぎから生まれた、とか、光速で膨張してる、とか、そもそも果てはあるのか、とか、現実の宇宙論ではいろいろありますが、ここは温泉なので湯船=宇宙の大きさには果てがあります。湯船=宇宙を作った業者もいます。

ちゃんと果てはありますが、沈殿物=地球からすればそれは遠すぎて見えないほどだと思います。加えて、沈殿物に暮らす人々は湯船のお湯の中で生きているわけなので、魚みたいに湯の外では生きていけないかもしれません。
事実上、このお湯の中が彼ら沈殿物人(ちんでんぶつじん)の世界の全てです。彼らにとっての観測可能(現実にできるかどうかは別として)な広さというのは湯船の大きさ、お湯の量そのものです。

そして、これも例えばですが、湯船にお湯が足されれば足されるほど、イコール宇宙が膨張していきます。どこかでお湯はあふれているかもしれませんが。

ちなみに僕の好きなその温泉は、「運び湯・循環ろ過」方式です。いえ、源泉かけ流しであるかどうかなんてことより、その温泉の雰囲気をとにかく気に入ってます。夜、そこで本とか読むのは至福です。

えーとそれはまあいいです、ともかく我々現実の地球人は宇宙についていろいろ調べています。
湯船(以下、宇宙と置き換えてお読みください)の中の沈殿物(地球と置き換えて以下略)に暮らす人々も同じです。
湯船の大きさを知るため、それを満たす湯の組成を知るため、また、この湯船がいつどうやって、そもそもなぜ作られたのかを知るため。

いま僕は、こうしてあの温泉の湯船を完全に外から眺めることができます。あの湯船の中にしか存在できない沈殿物とは、ステージの違う存在です。ひとつもふたつも上のステージに立っています(この言い回しカッコイイと思い始めました)。
その気になれば、あの温泉がどうして作られたのか、誰が作ったのかを調べることができる。この沈殿物が「湯の花」に由来するものだと知ることもできる。

湯船に沈む沈殿物人には、そういったことを全て知る由はありません。自分たちの身体がこの湯船の湯からできているのは、理解できるはずです。湯船の大きさを湯の量からなどで推測することもできるかもしれません。でも、彼らから直接、僕らの現実の建築業者に電話することはできない。

ここで、それと同じ構造を、今こうして現実に暮らしている自分にあてはめてみたらどうか。この現実の宇宙の底で生きる僕らは、この宇宙についてどこまで知ることができるんでしょうか。

ひょっとすると広さや組成はどうにかなるかもしれない。でも、たとえそれが完全にわかったとしても、それは「なんで作られたのか」という問題とはまた別のステージの問いでもあるはず。

宇宙の始まりのような問いになると「神」が引き合いに出されることがありますが、この温泉型宇宙論だとそれが「建築業者」とか「温泉掘削業者」にあたるんだと思います。
僕らは直接、僕らの宇宙を作った業者に連絡を取ることはできないという仮定です。なんでこの宇宙ができちゃったのか、直接問うことはできません。
いや、もしくは自然に湧き出た温泉みたいなものかもしれないし、そうなると余計に連絡の取りようがありません。

宇宙の広さに話を戻します。

宇宙に果てはあるのか、ないのか。
湯船の大きさに果てはあります。でも、湯船の外にはまだ限りなく広い世界が広がっています。

湯船の外には洗い場もあるし、脱衣所もアイスの自販機もあるし、塀の向こうには女湯だってあります(=たぶんこちらよりも遥かに素晴らしい宇宙)。

そしてこの温泉の外には木があり、山があり、川が流れ、県道をちょっといけば町もあり、駅もあり、電車も走ってて、大宮も東京もあります。群馬も長野も静岡もあります。沖縄も北海道も。さらに海の向こうには別の陸地があり、そして、空の向こう、この惑星の外には超広い宇宙もあります。
それらは全て、湯船の沈殿物には実感することのできない世界です。

現実の僕らも、同じ構造の中で生きているのかもしれません。

湯船という狭い範囲の法則を広い現実にあてはめちゃうのは乱暴だと思います。

でも、ミクロとマクロの構造が似ちゃってる、フラクタル云々、とかよくありますが、僕も、雨の日の車のフロントガラスのワイパー、あれの拭い残しが銀河団の構造(ぐぐってみてね)とそっくりになることで実感しています(わりと超狭い範囲での実感)。だから…ねー、いいでしょー、ねえー。

もしかすると現状のまま宇宙を調べていても究極の「なぜ」には届かないんじゃないか、とか、心のどこかでガクブルしています。
いえ、ちゃんと勉強すればそんなことを恐れる必要ないのかもしれないですけど…。すいません。

あ、組成を細かく細かく、それこそ超ひも理論ぐらい細かく調べていくことが無駄だとか、そういったつもりは一切ないです。そもそもこんな俺論にフォロー挟まなくていいと思いますが。まあ、ミクロとマクロが繋がるってさっき自分でも言っちゃったばっかりですしおすし。

さて。ほんとに宇宙は広いよね、っていう話は一旦これで置いとくとします。


次は、「湯の底の沈殿物から見えているものって、一体何なのか」という話をしようと思います。チラ裏続行です。

温泉や自宅の風呂で気づくことがあると思われますが、湯船の底って、水面の揺らぎが影になって映し出されてたりすることがよくあるんですよね。

湯船の底が暗くて見えにくかったり、平らじゃなかったりすると見えないこともありますが、ちょっと雰囲気のいい電球があったりする温泉の方が、影が強調されることがあっておおむねステキだと思います。
そんな温泉の湯船におっさんが出たり入ったりすることで生まれる波紋や渦が生み出す影模様は、結構美しかったり楽しかったりします。
特に、小さな渦が映し出す濃い影や、泡がレンズの効果でもって湯船の底を点々と照らしていたりするのは、なんかこう神秘的にすら思えてきます。

ここでまた妄想実験です。
また仮にですが、その温泉の湯が無色透明だとします。件の沈殿物以外にも、不純物や細かいゴミなどはあってもかまいません。
で、あんまりこれやっちゃいけないんですが、湯船の中で目を開けるとわかることがあります。別にプールでもいいんですけども。

ゆらいで見えるのは水面と、その光陰を映す湯船の底という2つの「面」です。もし水中に不純物があれば、その動きから「あ、湯がゆらいでるな(湯だけに)」と類推することもできますが、湯そのものの動きというのは肉眼では見えません。
もっと乱暴に言ってしまえば、 湯船の中で「ここに湯がある」ということを「目で見て」確認する手立ては、水面・底面の2つの面、プラス、もしあれば何らかの不純物を観察するしかないということです。

しかも沈殿物の存在する湯船の底には、「影」のみ映し出されます。沈殿物人が湯船の底で普段目にしているのは、実体の無い影です。

湯船の広さ=宇宙の広さ、と書きました。しかし実際、沈殿物は重いから沈殿しています。自ら浮き上がることはできません。
沈殿物にとっての湯船の広さというのは、2次元方向に広がる底面のみなのかもしれません。

となると、ひょっとして、彼らには彼らの次元に映りこむ「影」しか見えていないんじゃないか。高さのある実際の水面の揺らぎや渦、泡などの実体を観測することができないんじゃないか。

それを正しいとした場合、またさっきと同じように僕らの現実世界にその構造を持ってきたら、僕らも何かの「影」しか見えていないことにならないか…とか。
湯船の沈殿物人が2次元より上を知覚できないように、僕ら人間も3次元より上のものを感覚において知ることって難しいはずだと思います。

たまに読む科学雑誌で、「この世界は高次元世界の影である」とかそういう説を見ていたので、勝手な俺解釈でそう結びつけずにはいられませんでした。
高次元多次元がどうとか別の宇宙が存在するとか、僕もほんとのところは「オカルトっぽいよね」と思っていたんですが、なんかそう考えた方がしっくりくるな、みたいな瞬間は確かにあるんですよね。温泉においては。

さて。先程、
「湯船の中で「ここに湯がある」ということを「目で見て」確認する手立ては、水面・底面の2つの面を観察するしかない」
みたいなことを書きましたが、あくまでこれは「目で見て」の場合でした。実際は、ここに湯があるというのは「あったかい」という感覚で、見るまでもなくモロわかりです。
もしかすると湯に匂いもあるかもしれませんし、ちょっと飲んでみたら鉄分をすごい感じることだってあるかもしれません。

物事の観測に最も用いられるのは視覚だと思いますが、もしかすると、その情報だけでは世界を知る手立てとしては足りないのかもしれない。
目で見て、それを基にして考えるだけでは届かない何かがあるのかもしれない。
見えるものが全てではないのかもしれない。

こうなるとちょっと宇宙論とはかけ離れてきてしまいますが。
そんなわけで、かけ離れついでにまた話を飛ばしてしまいます。

僕はミヒャエル・エンデという作家が大好きです。これもたぶん元をたどればアインシュタインロマンなんだと思いますが。
『はてしない物語』とか『モモ』を読んで、しっかり焼いたサーロインステーキで頬を引っぱたかれたような衝撃を受けたものでした。

見えるものは、目に見えないものの
輪郭を描くためにあるにすぎない

エンデはこんなことも言っていました。改めてそう言われてものすごいハッとしたことをよく覚えています。
他にも似たような言葉をいっぱい残しています。また、エンデ以外の作家もこのような意味の文章を残している人は数え切れないほどいるはずだと、僕は思います。サン=テグジュペリやエッシャーや、あとそうだ、マグリットもこんなことを言っていました。

神秘とは、現実の可能性のひとつではない。
神秘とは、現実が存在するために絶対に必要なものである。

こじつけかもしれないですが、似た意味を持っていると思います。
また、神林長平作品に最近よく出てくる「リアル世界」の概念も、僕の中では同じカテゴリに分類されています。

ちょっと自分の土俵に持ち込めたのでさらにチラシの裏感が加速してきてしまいましたすみません。
SFやらファンタジーやら、とにかくそういうフィクション大好きです。

ぶっちゃけ宇宙論というのも事実に基づいたフィクションである、と言っちゃってもいいんじゃないかな、とか…。
ニュートン力学とか電磁気学とか相対論とか量子論、そういうある程度確立した理論はもう現実に固定されてフィクションの余地はあんまりないかもですが、現在進行形で宇宙の「なぜ」に挑んでいるような様々な論などは、希望を込めて、いい意味でそう言わせていただければな、と。

フィクションていうのはノンフィクション=現実を拡張するためのものであると思うので。
あとほら、ノンフィクション、っていう単語はフィクションがないと成立しない語ですし。あくまで「フィクションじゃないよ」という立場の存在なんですよね。ノンフィクションて。神秘とは、現実が存在するために絶対に必要なものである、ってわけで。


えーと、つまり、宇宙論…だけに限ったことではないですが、この世界の解釈の仕方にはまだまだ違ったアプローチがあるのではないかな、と。人生と同じですね。

というわけでまあ、全くこれ「論」の形を成していませんでしたが、「俺式:温泉型宇宙論2013」でした。
時間があったらまたいつか時間のあるときに(←やらないフラグ)まとめ直してみようと思います。長々とお付き合いいただけた方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございましたと伝えたい、あなたに。倒置法で。


さて、ここからが本題です。(真顔)
あと何時間もたたないうちにサイト消えちゃうので慌てて書いてます。言うこと矛盾しまくってますがお許しくだ祭2013。

この期に及んで、なぜこんな意味のない宇宙論もどきを展開してしまったかというと、意味のないことがやっぱり大好きだからです。
こういうの書いてると再確認できるんですが、僕の本分はやっぱり「意味ないこと、無駄なこと」をやる、ってことなんだと思います。

この、働くことに意味のある現実において「働くのつれー、マジつれー」と感じるのも、ただ怠け者であるっていうだけじゃないです。(迫真)

よく「働くことに意味なんかねーよ、働け」とケツを引っぱたかれてきましたが、働くことに意味がなくても、その先には必ず対価としておカネをもらうという労働の意味があります。もっと端的に言えば、生きるために働くという意味です。

別におカネ欲しくないわけじゃないですぜフヒヒ。でもやっぱり僕にとっておカネは欲しいものではなくて無いと困るものです。
「一生懸命やってればカネは後からついてくる」ってフレーズがありますけど、同じく「意味も後からついてくる」ものだと思います。最初から意味を求めちゃうと、僕はつらいです。
カネに意味があるうちは、やっぱり労働ってつらいよね…。じゃあ何に意味があればつらくないのか。

ずっと、生きる意味というのを考えてきていました。います。今も。
宇宙論とかそういう、何かの本質に迫るようなものが大好きなのも、僕はなんで生まれたのか、なんで生きてんのかっていうことが気になって仕方ないからです。

なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ♪

って、えらい人も歌ってます。
僕は、今のところ、生きるのに意味はないと思っています。意味はないけど、その上で楽しく生きることはできると思っています。逆に、生きることにムリに意味づけしようとするのがしんどいです。わりと小さい頃からそうでした。
でも、楽しくできているうちはいいんですが、気がつくとふと、根源的な問いにさらされていることがあります。

一体何のために、何で生きてるのか。
先ほどの湯船の沈殿物じゃないですが、それは頭でだけ考えて答えを知ることができるものではありません。手を、身体を動かしてのみようやくなんとか対峙できる問いだと思います。
それはわかってるんですが、やっぱり手が動かないときがあるのがもうね…ヤレヤレ、って感じなんですが。

今このホームページに残っているのは、意味がないと思いつつも、それでも(つらいことも含めて)自分なりに楽しくやった上で生まれた絵やら音やら文章です。でした。そろそろ消えちゃうので。

データそのものは自分のHDDに残っていますし、また別のサーバに移しますが、自然に消え行くものをムリヤリ留めておくようでちょっと気が引けるのも事実です。もっと言うとあんまり面白くないものを残すことに意味があるのか…とか。

たぶん、意味はないです。そうした方が楽しいからそうする、って感じでまあ、いいか。これからもこういう遊び場は残しておきたいです。
たかが場末の開店休業ホームページが消えるだけにしては、やっぱりちょっと感慨深いものがあります。
はしくれ工房を通じてお会いできた全ての方に最大限の感謝を。
意味ないことをやってたはずなのに、意味は後からついてきてました。えへへ。

ここまで、本当にありがとうございました。
それじゃ行きますぜ、次のステージへ…。

あぶねえー。なんとか一区切りつけられた。

あ、今月のコミティア参加予定です。【G09a】です、よろしくお願いします!



02012.10.18 【アルカノイドII部】
[アルカノイドII部] はじめました。(6ページ)

おそらくまた、人類が滅亡するのとどっちか早いかぐらいのペースでの更新になりますが、気長にお付き合いいただけると幸いです…。

なんか色々試しながら描いてたら、こんなんでもすごい時間かかってしまいました。うへあ。
えっ、続き? あ、はい、描いてます。ちょうどいま描いてたとこなんですよ!
(つづきます)



02012.10.02 【DOH】
先日(1ヶ月前)のコミティアおつかれさまでした、ありがとうございました! 今回はあの人やあの方の本を手に入れることができたりで楽しかったです。うちの新刊はZINさんで委託させていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、準備はよろしいでしょうか!
すっかり恒例となりました「アルカノイドII」初心者あるある2012年度版〜! ドンドンヒューヒューパプパフ! フスー、フスーッ!(口笛不発)

  ・パドルを回しすぎてバウス超加速。討ち死に。
  ・アイテムがろくに取れない。
  ・狙ったようにギリギリでボールを落とす。
  ・なにをするにもボール1個分の移動が足りない。
  ・なぜかRアイテムは取れてしまう(そして即死)。
  ・プレイヤーエクステンド取った直後に爆死。
  ・ツインの隙間からボールを落とし憤死。
  ・元気よくレーザーを撃ちながら撃沈。
  ・スローを取るがあまり意味がない。
  ・復活銀ブロックばかりに何度も当ててしまう。
  ・ハームフル(敵)で反射角度が変わり、急死。
  ・ディスラプションで焦ってしまい全部落とす。
  ・ニューディスラプションですらきれいに全部落とす。
  ・スペシャルアイテムの超分裂でさえも全部落とす。
  ・最後の1ブロックがなかなか壊せず、加速するボールに対応できず悶死。
  ・無口になってくる。
  ・口が半開きになっている。
  ・「今のは、読みはよかった」とか独り言を言い始める。

(以上は一般的なあるあるであり、ある加減については個人差があります)

とまあそんな感じで、こんなあるあるも初めてなんですが、今週末あたりからwebまんが『最強!! 太東高校アルカノイドII部』を始めていきます。
アルカノイドを知らない方にも楽しんでいただけるようにがんばります。というか今となっては実際にプレイしたことある人のほうが少ないですよね! でもここ見てるのってきっと僕と同世代な方が多いですよね! やーいやーい!(←ブーメラン)

前作『最強!! 太東高校アルカノイド部(pixiv)』は2002年ごろのまんがでした。ちょうど10年たちます。なぜ今になって、今ごろまた始めるのか。それはね、始めたかったからさ!
アルカノイドも今年で25周年なんですよね確か。ほら、なんだか使命を感じてね。色々な節目が運命的に重なっているってわけさ!(ドヤッ)

『私のドヤ顔を見抜いたとき、あなたもまた同じドヤ顔である。』 エドガー・ドヤ(2011〜)

いえもう、10年前と同じくちまちまと更新していくことになると思いますが、よろしければまたお付き合いくださいませ。ほんと今さらの漫画なんですが、それも含めて楽しんで描こうと思っております! あと「10年たってるのにこんなに進歩してないのか……」という暗澹たる気持ちも含めてね!!



02012.08.31 【漫画とかね】
まいどおひさしぶります。
9月2日のコミティア101に参加します。
F01a/はしくれ工房でお待ちしております。

新刊あります。やったね!!!!!!!!!!!!(自分を鼓舞するためのカラ元気)
サンプルはpixivですがこちらに。この16ページ分は過去の描きなおし分で、新ネタはこんな感じで25ページです。

あ、会場で「粗品ちょうだい」と言っていただければ、先着3名様ぐらいに粗品を差し上げますので、機会がありましたらぜひよろしくお願いします。本当の粗品を見せてやる。

  +  +  +

で、また唐突なんですが、いつか文章にしてみようと思ってた漫画アシスタントの話です。とくに推敲なしでぞろっと書いちゃいますので矛盾・破綻など多々あると思いますが、それってまさに僕の人生! すいません大目に見てやっていただけると助かります。

僕はなんにしろスタートが遅かったんですが、これまで適当にやってた漫画ってものをちゃんと考えてみようと思い、完全におっさんになってから漫画アシスタントとして某先生に雇ってもらいました。レギュラーとして入れていただいたのが2010年の秋ごろでした。

あ、僕はほぼその現場しか知りませんので、以下で述べるのは偏った考えになってる可能性は1億万%あります。実際他に行っても現状大した役にも立てません。すいません。

で、まあ、漫画づくりの組織に入ったはいいものの、そりゃ当然のごとく最初は仕事になりませんでした。
絵とか適当に大雑把に描いてた人間が、たとえば「米ひと粒に般若心経ぜんぶ書き込まないとオマエしぬ!」みたいな精度の仕事を始めるようなもんです。最初はひと粒にひと文字書くのがやっとでした。いまはたぶん、ふた文字ぐらいは書けるようになったかしら…ってとこです。同じ仕事場の、アシ歴が長い方たちはたぶん僕の数十倍は書き込めます。こりゃあいまさら努力しても追いつけるもんじゃないな…と痛感させられました。
ちなみにもっと正直に言っちゃうと「ぶっちゃけ絵で勝負すんのはダメだわ……」ってことです。あ、努力は当然継続してくつもりです。淡々とやっていくしかないです。

いま「淡々と」って部分を「TINTINと」って書こうとしたんだけど、やめました。タンタンの冒険知らないと普通にちんちんですよね……。

で、なんだっけ、原稿の作画にしても仕上げにしても作業の段取りにしても、僕は「その現場での方法、手段」を覚えるのに必死になってしまいました。
「こういう場面だと空のグラデは何%から何%でかけるのか」
とか、細かいこと必死に気にしてたり。

ものすごく乱暴な言い方をすれば、アシスタントというのはおカネを貰うかわりに先生の負担を引き受ける職業だと思うので、問題がなければやり方はどうあれ納期に間に合って、かつ先生のイメージする仕事に合致していればOKなわけで。
OKというか、まあ仕方ねえな、いいよこれで、ぐらいのOKではありますが。すいませんほんとあっははは!! いや、全然笑いごとじゃないですけど。

すごくシステマチックにやっている現場ではそうじゃないのかもですが、しばらくアシを続けさせてもらって気づいたのは、結局のところ組織においても究極的に必要なのは個人の技量なんじゃないかなあと。

たとえば「このアニメのこのシーンすごい」という場合でも、最初に誰かがすごい案だしてたり原画描いてたりするわけで、当然その「誰か」の才能によるわけじゃないですか。その人がいなかったらそのアニメはそうなってなかったんですし。
自分のように普通に見てるだけの側としては、作画がどなただとか、そういうのって意識したことがあまりなかったですけども。このアニメ自体すごい、ってひとくくりになって。
組織の中においての技量は、組織によって育てられる部分と、あとどうしてもそれだけじゃ足りなくて、どこか別の場所から持ってこなきゃいけない部分があると思います。たぶん前者だけだと組織の枠を超えるのは難しいし。

ちなみに、組織を「社会」とか「地球」とかに置き換えると結構おもしろいとも思うんですが。その場合の「別の場所」っていうのはどこなのか。エンデが言うところのファンタージエンとかそういう、いえ、すいません、書きながら考えてるのでイミフです。

なんかアシスタントの話からそれちゃいましたすいません。とか言ってアシの話に戻るわけじゃないという、さらにすいません。

僕がサラリーマンみたいなことをやっていたときって、なんていうかまず組織には「方法」や「型」が先にあって、それを覚えることが仕事だと思ってたんですよね。本当はそういう枠組みが大っ嫌いで「働きたくないでござる!」だったにもかかわらず。やっぱり型どおりやってればいいのって楽なんですよね。

でもやっぱり会社組織だって、ほんとは優先されるのは組織そのものの枠組みではなくて、中の人の技量だと思うんですけどね。必要とされてるのもそうであるはずなんですけど(もちろん、枠組みがないと発揮できない力もあります。枠とか型は必要)

漫画に限らないけど、結局見てもらえるものは「結果」として作られた作品、製品なんであって、それはどんな方法で作られてもいいわけです。倫理的な問題さえなければ。
結果は固定されているけど、過程は流動的でほとんど無限の道筋がある。人生と同じです。

あと、アシスタントやれば自動的に絵や漫画がうまくなっちゃうかもゲシシシ! とか虫のいいこと思ってた昔の自分は業火に焼かれるがよい。あ、だからこういう暑い町に引っ越してきたのかもね! 暑すぎるよまったくこんちくしょう。

どんな現場でも学ぼうとしなければ学べないものです。それはやっぱり、何歳になっても変わらないことですバイ。もうちょっとがんばりましょう。何事も遅すぎるということはない、結果的に間に合わなかったということがあるだけさ。

  +  +  +

これはアシスタントの話じゃなかった気がする。

  +  +  +

あ、関係ないけど今日ってミクの誕生日だったんですか。おめでとうございます!



02012.02.18(2) 【今年もよろしくお願いします】
[こそあど] 《※毎度ながら本文と画像には直接の関連性がありません》

じーこが ほーらー おきるよー♪ いいきに なーってるとー♪ あっすいません、すっかりごぶさたしちゃってました。でへべろ!!!!(←汚い)

もう2月も半ばですが、今年もどうぞよろしくお願いします。去年5月の太陽の塔以来の更新なので、計算があっていればその頃に生まれた赤ちゃんは満9ヶ月ぐらいになっているはずです。

または、時速5kmで日夜休みなく歩いたとすれば32000km以上も移動できたわけです。静止衛星軌道まであと少しです。ってなんで地面から垂直方向に歩いてるんだってね。起動エレベータかよ。どっせーい!(←ここでNASAの方々大爆笑)

まあ僕は赤ちゃんでもないし一心不乱で歩き続けたりもしなかったのでどっちも「それって、すごいですね」ぐらいの感想しか持てませんけども。(もちろん、どっちもすごいことです)

[チョコとか] ここ最近は、漫画のネームをああでもないこうでもないとこねくり回している状態です。去年暮れになんとかまた雑誌に載れたので、この流れを消したくないなーと。で、どうにも考えすぎちゃってゲシュタルト崩壊したりもしてる状態です。焦りすぎも考えすぎもよくないすね…。

あと、自分がこれまでどんなものを描いてたのか、わりと「あっれぇ…?」って感じで忘れちゃってることに思い至ってガクブルしたりしてました。「作りたい」と「作らなきゃ」の間に断絶を作りすぎちゃって、すいません自分がなに言ってんのかも半分謎なんですが、まあとにかくそろそろ自分探しを再開しないとたぶん私しぬ。ヨーグルトとかで中二菌も補給できるかしら。

[イ為ース] もうほんと開店休業状態ではありますが、このホームページがあったのが僕にとっては幸いでした。なんか色々過去が詰まってるし、ここでこうして色々書いてると考えがまとまったりもします(おおむねバカな方向に)。

このサイトは、間違いなく僕の根っこのひとつなんだと思います。ほとんどもうたまに帰ってきてはクダまいちゃうような寅さん状態ですが、寅さんにだって帰る場所は必要なので、やっぱりここはずっとのこしておきたいです。
願わくば、そんな様子をたまにでも見に来ていただいて、またバカがバカやってるなーと生暖かく見守っていただければ嬉しいです。ずっと前にもこんなこと書いたような気もしますが。なんか掲示板とかほとんど手付かずですみませんです。

僕ももう本当におっさんなんですが、なんとか諦めずにやってます。好き勝手やらせてもらってます。なんとかもうちょっとやっていこうと思っています。
あ、僕はできなかったけど、やりたいことがあったらほんとに若いうちにやっといたほうがいいと思います。漫画描こうとしたらすでに目が老化してたとか、もうそれだけでテンション下がるわー。だだ下がるわー。

あと自分のやってることについては「こんなことして何になるのん?」という疑問が常に付きまとっちゃってるんですが、それに抗いたくて、無意味さを肯定したくてこれまでなんのかんの作ってました。生きてていいのよ! ってことです。存在してるってことは、常に過程の中にあるということです。結果は一瞬きりです。あとは過程です。結果を出すために過程があると思いがちですが、そんなに焦らなくていいです(と自分に言い聞かせる)。

あーいけね、酔ってきちゃった!^^;;;;;;(自分に)
それでは今日はこのへんで! あ、5月のコミティアは出ます。短編ネタとかいろいろあるので、なんとか形にしていきたいなと! よろしくおねがします!



02012.02.18(1) 【The chirashi no ura】

 その日記は、中途半端なところで終わっていた。

 いや、書いた本人にとっては何も半端なところなどなく、それで充分に日記の役割をはたしているのかもしれないのだが、いまこうして読者として紐解いている私には全く満足のいくものではなかった。

 そもそもこれは日記ではないのかもしれない。確かに、表紙には「日記帳」と銘打たれている。さらに、どのページのテキストにも日付が記してある。これはきっと、最初に手にした人間が内容を見ずに書架に分類しただけなのかもしれない。そうに違いない。私だったらこれをファンタジーやSFの棚に置いたのに。

 たとえば1月21日の内容はこうだ、『超能力者だった友人が普通の人になって帰ってきた。一緒に酒を飲んだ』
 まあ、これだけならありえなくはない……かもしれない。
 4月17日。『世界の五大美女から求婚を迫られ、おさななじみの少女とともにこの町を脱出した』
 6月13日。『巨大ロボの充電を忘れたため、残念ながら地球は滅亡』
 9月7日。『会社に猫が3000匹やってきた。4000匹だとちょっと多いということなので3000匹である』
 10月20日。『私はローマ帝国東西分裂の真の原因を突き止めた!』

 ……支離滅裂。ずいぶんと楽しそうな、変化に富んだ日常である。というより、やはりフィクションとして読むのが自然なのだろう。
 そう確信しつつパラパラとめくっていくと、やがてページがごっそりと破り取られている領域にたどり着く。欠落は日記帳全体の数分の1ほどにもなるだろうか。乱暴にむしられたようで、ノドの部分には紙片がギザギザに残っている。文字の断片もいくつか見て取れるが、判読はできなさそうだ。

 いったい、筆者は何を思ってこれらのページを破り、おそらくは捨ててしまったのか。当人にもわかっていないのだから、私にわかるはずもない。

 ……ここでちょっとした謎が発生する。筆者本人が破いたとなぜ言えるのか? まあ、答えを引っ張るほどのことではないので言ってしまうが、破り取られたエリアの直後のページに、

『2月17日 なんかよくわかんないんだけど、ここしばらく書いたぶん、腹立つ。内容なさすぎ破っちゃえ! てへぺろ! もう戻れない』

 とあるのだ。筆跡も明らかに本人のものである。

 そしてそれが、この日記帳最後の記述。白紙のページはまだまだあるのに。なんとも、無責任で中途半端な終わり方だ。
 ため息をついて、私は日記帳を閉じた。そして気づいた。

 2月17日。奇しくも、昨日の日付である。

 年号が書かれていないので、いつの2月17日かはわからない。
 ……わからない、はずなのだが。
 この得体の知れない焦燥感はなんだろう。
 足元に散らばる紙片は一体なんなのだろう。

 そして私に、これまでの記憶がないのは何故なのだろう。

 わっと叫んでそれらをかき集めようとする私を嘲笑うかのように、折からの風に吹かれて紙は全て巻き上げられてしまった。私は自らの脳がこぼれ落ちてしまったかのように、ただぼうっと宙に舞うそれらを見上げていた。

 手元に残ったのは、断絶の向こうの過去。
 紙が全て中空へと消え去ると、やがて私は筆を取った。そうすることが自然だと思えた。日記帳を開いた。そうだ、これは私の日記帳だった。
 最後の2月17日。『もう戻れない』
 諦めにも似た決心。もう戻れないのなら、戻らなくていいのだ。

 17日のテキストに続けて『2月18日』と書いた。手は震えていた。断崖絶壁の上に際どいバランスで立っているような、そんな文字に見えた。はやく、次の日付を記したい。杭打つように。そこに結わえた命綱を手がかりに、一歩一歩奈落から這い上がる、そんな営みを重ねなければ。

 手元に残ったのは、断絶の向こうの自分と、手付かずの領域。
 また脈絡のない旅でも始めるか。おそらく、たぶん、次の断絶に向かって。



02.17 【てへぺろ!】
もう戻れない




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