02006.02.07 【私信】
オタクの業の深さ。
これまで家族友人親類縁者にさんざん迷惑をかけてきたのに、いざ好きなことに没頭しだすと、周囲に振りまいてきた自分のそういう「罪」や、かきまくった「恥」をすっかり棚に上げてしまう。
そしてまた自分が「解放」されたいがため、進んでオタク的な生き方を選んでしまう。すべてを棚上げするために。まったくまちがっていると思う。
僕のせいで嫌な思いをしてきた人、苦労してきた人たちに対してこそ、真摯に向きあわなければならないのに。
いや、実は僕が考えているほどには彼らは深刻に思っていないかもしれない。でも、だからこそ同時に、僕が考えるよりもずっと傷ついているはずだから。

自覚はしています。いまは何をやっても逃避でしかありません。
でも、これだけ「何も還元してない日常」を続けているくせに、まだなんとかやっていけてます(いつまで続けられるかわからないけど)。
「おまえには何も残せない。何も完成させられない」というあの古い呪いが生きているのに、まだ自分はこんなことをやっていて、ただ解放を、カタルシスだけを求めている。オタクというのは気持ちのいいものです。ひとり乗ってる環状線のようなものです。自分で降りないかぎりは、いつまでも回っていられます。そしてあるとき事故がおこり、ふいに電車が止まってみてはじめて、それを動かしてくれていた人たちのことを知ります。
僕がただぼけーっと電車に揺られている間にも、彼らは自分の責任で列車を運行していました。べつに、彼らは僕ひとりのために働いているわけじゃない。だけど僕はもう彼らのことを知ってしまって、彼らの苦労の上にのうのうと座っていた自分を何よりも情けなく感じ、それに報いるための代価を持っていないことに絶望します。

そして絶望も棚に上げてしまい、いまこんなことを書いています。
本当は、何も深刻なことではないのかもしれない。自分の業をただ自分で掘り下げているだけかもしれない。むしろ、いまこうして書いていることがまさにそうした行為に当たっていて、何も考えなければ、書かなければ、これ以上誰をも傷つけることなんてないかもしれない。

でも、書くことでしか解放されることがない。オタクは趣味ではなく、性質です。バカにつける薬はありません。また、一生かけて治そうとしているのでもないので、ますますバカが進行していきます。

願わくば、周囲の友人方、お世話になっている方々におかれましては、「ああ、またバカをやっているな」と、遠くから、たまにでも、生温かい気持ちをもって思い出していただけますことを……。
いつか必ず、なにか確かなものをお返しできればと、棚に乗っけてしまったいろいろを見上げながら思います。
そしてまた、自分にかかった呪いの根を、自分の手で引き抜くために。もうちょっと、掘り下げていこうと思います。そうです。オタクは結局、自分のことしか考えてないのです。ミもフタもない。

 「で、キミ、具体的にはどうするの?」
 「え? えあ……あうあうあー」