#002



 僕の言うこと思うことは全て誰かからのコピーなのですが、一字一句完全にコピーできるほど器用なはずもないので、必ずどこかに誤差は含まれていて、その少しの違いがどんどん蓄積されていって、いま僕が僕だと言えるのはその溜まった誤差の部分だけのことなのです。





「なんだ、この店は。俺をからかってやがるのか!」
「いえ、滅相もございません。そのようなことは決して」
「よく言うぜ! これでからかってないってんなら、バカにしてるんだろ俺を!」
「はい、申し訳ございません。そのとおりにございます」
「フ、フン。最初からそうやって認めれば、俺だってこんな大声出さずにすむんだよ」
「申し訳ございません」
「ああ胸クソ悪い。いいか、今日は帰るがな、次までに心入れ替えておけよ!」
「申し訳ございませんでした。ありがとうございました」
「当然、金は払わねえからな! ああ、もう、どいつもこいつも」
「まことに申し訳ございませんでした。フロント、バカが一名様お帰りでーす」





【つかれ】

 一部の連中の間で噂になっている疲れ屋が、いま僕の会社の前にいる。驚いた。都市伝説みたいなもんだと思っていた。退社時間になってもまだいたので、僕も思い切って疲れてみることにした。
「――疲れ、いらんかね。疲れはいかがですかー」
「ひとつ、もらおうかな」
「はい毎度あり。あ、最初にお断りしときますが、どんな疲れかは……」
「自分では選べないんだろ。いいよ、知ってる。やってくれ」
「わかりました。それでは」
 男は肩に背負ったサンタクロースみたいな袋を下ろすと、口をゆるめて僕に向けた。
「はい、じゃあ袋の口をじっと見ていてくださいね」
「ああ」
 袋の中は真っ暗だった。闇を見つめていると本当に心が落ちついた。無条件の安心感。身体が軽くなってくる。僕の疲れが袋に吸い込まれてるらしい。へえー、噂どおりだ。
「最近はひどいお客さんも多くて、ここでとっとと逃げちゃうんですよ」
「ああ、そりゃひどいね」
 僕はなんだかいい気持ちで軽く答えたが、要は、逃げるなよ、とクギをさされてたわけだ。後で思い至った。
「お客さんは、いいお客さんです。はい、目を瞑って。いきますよ、一、二、三」
 心の準備もなにもなかった。慌てて目を閉じた。続く男の掛け声で、突然、疲れが押し寄せてきた。全身の隙間という隙間に石が詰まったみたいな、ものすごい疲労感。
「あ、ああ、ああうあ」
 言葉も見つからずに僕はその場にへたり込んだ。男はそれを見ると満足そうに微笑んだ。
「よかったです、お客さん。とてもいい疲れにつかれました。それでは、またのご用命を」
「ああ、あ、ありが……と、う」
 どうにも首すら動かせなくて、呟きだけで男を見送った。それにしても、この疲れは……。
 特に酷いのが頭の鈍痛と肩こり、目の疲れ、手首の痛み、腰の張り、そしてなにより、眠さ。今まで丸二日寝なかったことがあったが、そんなのは問題にすらならない。これが本当の睡魔ってやつなのか。気を抜かずとも意識を持っていかれる。
 そうしてなんとか疲れを噛みしめていると、徐々に身体の底の方から熱いものがこみ上げてきた。ああ、この疲れは。この疲れを持っていた人は。
 疲れが全身に行き渡ったのを感じるのと同時に、僕は味わったことのない達成感に包まれていた。
 この人は、とても大きなことを成し遂げたんだ。この疲れは、それがどれほど大きいものなのかを表しているんだ。羨ましかった。毎日の生活で、これほどの気持ちになったことなど一度もない。同時に、楽をして一番おいしい部分だけを味わっているような気もして後ろめたかった。この疲れを持っていた誰かに、ありがとう、ごめん、と頭の中で三回繰り返した。
 僕はもう、思いっきり伸びをすると、そのまま大の字に寝ころんだ。歩道を行く人たちが怪訝な顔で避けていくが、どうでもよかった。いつか僕も自力でここまで疲れられるだろうか。疲れたいと思った。そういえば、さっき吸い取られた僕の疲れにつかれる人はいるんだろうか。その人はどんなふうに思うのだろうか。
 自然と頬がゆるむのを感じた。
 そして自分でも気付かないうちに、僕は最高の眠りに入ってしまったのだった。





【弐】

 なにかをつくっていくことは
 底なしのからっぽのじぶんのなかに
 それらを放りこんでいくこと

 石段をつみ上げる作業ではない
 穴をうめる作業ではない





「いつか悲しい別れがあるから誰も愛さないなんて、どうせ平日がきちゃうから土日祝日がいらないっていうのと同じだよ?」
「そんなのは……絶対イヤ」
「だろ? だから、そんな悲しいこと言うなよ」





【ビッグロボ 第7話『乱れる、こころ』 】

「さあ、今日も一緒に戦おう! ビッグロボ!」
「……うむっ。ロボの操縦にもだいぶ慣れてきたな、正一くん」
「あっ博士。ありがとうございます。なんだか最近、ビッグロボの気持ちがわかる気がして……行けっロボ、そこだ、アイアンハンマー!」
「おお、遠隔操縦でここまで操れるとは。想像以上の成果だぞ正一くん!」
「よし、とどめだロボ! ジャアァァンピィイイング……」
 ウゴアアアア! ドカーン、グワーン!
「ど、どうしたんだロボ、急に暴れだして! しっかりするんだ、僕の声が届いていないのか? ロボ、ビッグロボー!」
 ウオオオオオオン!
「いけない! このままではロボが街を破壊しつくしてしまう! 博士、どうすれば! 博士! ……はかせ?」
「――でさ、言ってやったんだよ私は。うん? そう、天才気取ってんじゃねえぞってさ。そのときのあいつの顔がケッサクでさあ〜」
「はっ、はは、博士ー!」
「ん? ああ、ごめんごめん、旧友から電話かかってきちゃってさ」
「すぐ、今すぐ携帯を切ってください!」
「あ? ああ、そうかこりゃスマンスマン!」
「ロボのそばでは携帯の電源を切ってくださいって、あれほど言ったじゃないですか! いまどき守ってないの博士ぐらいですよ、マナー悪いなあ!」
「いやぁ、うっかり!」
「うっかりで済めば博士なんていらないですよ! 偽! モグリ!」
「そ、そりゃあ言いすぎだろう正一くん」
「言いすぎなもんか! アホ! 博士のアホー!」





【闇の戦い・1】

 我らの世の裏には、人知れず争いを繰り広げる二つの闇の勢力がある――。

「――さあ、今日も故事成語やことわざを否定しまくってやるわ!」
「なにおう、そうは行くものか!」
 日本故事成語否定協会(略:NKH)と、ことわざを守る会(略:こ守)は決して相容れぬ考え方を持っていた。彼らは歴史の陰でことあるごとに争った。相手を完膚なきまでに叩き潰すことを悲願とし、また時には自らの理想のために殉じることも厭わないのであった。
「今回は……『犬も歩けば棒にあたる』を否定してやろう!」
「ぬぅっ、世に広く知れ渡ったその語、否定させてなるものか!」
「フン、せいぜい吼えておるがよいわ。よし……。パピィ! カモン!」
 一匹の犬が連れられた。目に剣呑な光を宿し、しかし物静かにたたずむ様は只者ではない。
「よ〜しよし、パピィ、よく来たね〜……さて。これから、このパピィが歩く。うぬらは棒を持ち、振り下ろし、パピィに当ててみせよ! 当たればうぬらの勝ち、当たらねば我らが勝利!」
「おもしろい、受けてたってやろうぞ。古来より、犬は棒に当たるもの……それを証明してやろうぞ!」
 かくして、闇の戦いの火蓋は切って落とされた。
「Go! パピィ!」
「バウバウ!」
 パピィが駆け出す。棒を以って打ち据えんと構えていたこ守(ことわざを守る会)のメンツに驚愕の表情が浮かぶ。
「な……速い! 尋常ではない速さ!」
 犬は、残像を残して駆け回る。とても人に捕らえられる速度ではない。
「フフ。このパピィは肉体強化と脳改造を受けておってな。最早なんぴとたりとて捕らえられぬわ! うわははは!」
 勝利を確信するNKH首領。うなだれるこ守の面々。しかし。
「歩いてない! 走ってる! 超走ってるよ!」
 敗北を一気に吹き散らす、こ守最年少・一休さん(コードネーム)の叫び。
「そうか! 犬も歩けば……だものな!」
「そうだよ! 走っちゃったら、それは間違いだ!」
 わっ、と沸き返るこ守たち。瞬間、放心するNKH首領。
「お、おのれ……。おのれ、ぬかったわ! うぬぬぬ、今回は大人しく退いてやろう。だが否定されるべき故事成語はまだ星の数ほどあるわ! 覚えておれ!」
 かくして今日、故事成語が1つ守られた。だが、こ守とて全ての語を守れているわけではない。否定され、消えていった故事成語たちもまた星の数。
 NKH 対 こ守。それは決して歴史に刻まれることのない戦い。





「さあ、寒い朝には元気に完膚抹殺をしよう!」
「やっやだよ! あっ、そんな、タオルで! うわ、うわあああ!」





 ついに私は成し遂げた。
 人間の肉体と精神をそのままデータに置き換える理論を完成したのだ。人ひとり分の情報量というものは膨大だ。だがデータは特殊な方法で圧縮され、最終的には8MBまでになる。
「さあいくぞ助手くん、実験開始だ!」
「ほっ本当に大丈夫ですよね助教授……頼みますよ」
「大丈夫、信じろ。私の理論は完璧だ。では準備はいいな。人間デジタルデータ変換機(そのまま)、始動!」
 ブウゥゥゥゥン
「あっしまった!」
「な、なんすか?! もう変換始まってるのに!」
「不可逆圧縮だった」





 パン好きの人と結婚しようと思った。
 容姿とか性格とか育ってきた家庭環境とか、そういうのはどうでもいい。とにかくパンが好きならいい。
 朝、一緒に食卓について、僕は食パンをかじりながら、彼女が同じようにパンを食べるのを見るのだ。
 朝食にごはんを食べる人にはこの気持ちはわからないと思う。やはりそんな人とは結婚できないのだ。





 2013年、日本から一つの国が独立した。

「佐藤の、佐藤による、佐藤のための世界を!」

 神聖佐藤帝国の誕生だった。
 初代皇帝の佐藤みのるは佐藤以外の姓を激しく否定し、佐藤の名のつく土地ことごとくの領有を宣言。領地を通行する日本人に高い通行税を課した。首都を旧浜松市佐藤町に置き、佐藤だけが使える通貨(1サト=15000円)を流通させ、のちに「佐藤の三叉」と呼ばれることになる強力な軍隊三軍を備えた。
「佐藤でなければ人ではない」
 佐藤みのる皇帝の有名な言葉だ。佐藤たちの黄金時代が訪れたのである。
 一方、国家における最大派閥とも言える佐藤姓の者たちの離脱によって、日本の国力は大きく衰退した。文化、経済、あらゆる面において、佐藤の占めていた割合は想像以上に大きかったのだ。 事実上、日本は佐藤帝国の属国となった。
 アメリカ、中国、EU、国際社会までもが日本より佐藤帝国との国交を重視するまでになった。日本はもはや、なんの資源も持たない、いつも怯えた小国に成り下がってしまった。

「……ちくしょう、佐藤のやつら」
「やめろよ。どこで聞かれてるかわからないぜ」
「いいや、俺は佐藤を倒す! 佐藤じゃないってだけで虐げられる人間の気持ち、佐藤にわからせてやる!」
「おい鈴木!」

 紆余曲折、佐藤帝国を打倒した鈴木順一は鈴木共和国を建国。
 そして歴史は繰り返す。佐藤さん鈴木さんごめんなさい。





【キジカ・1】


 紀滋架は小さい頃からいつも不思議に思っていた。不思議すぎて不思議でなくなるほどだった。
 友達と遊んでいるときも、家族で食卓についているときも、周りの皆がなにを喋っているのかまるでわからなかったのだ。
 同じ国の同じ言葉なのは理解できた。けれど、彼らの話すことが意味のない、ただの単語の羅列にしか聞こえなかった。
 だから紀滋架は話しかけられても笑顔を返すだけで、自分から言葉を発することはめったになかった。それでも十分に彼らとのやり取りは成り立っていた。紀滋架はそんな自分が大嫌いだった。
 紀滋架は本に書かれた言葉、固定された文章は容易に理解することができた。
 紀滋架は勉強した。もっと勉強すれば、彼らの言っていることが理解できるかもしれない。紀滋架は国でも指折りの学者になった。でも、まだ皆の言葉はわからなかった。さらに勉強した。紀滋架の評価は高まり、紀滋架はますます孤独になった。話しかけられても笑顔を返さなくなった。紀滋架は本当に独りになった。





【キジカ・2】

 独りになって、初めて紀滋架は気づいた。
 自分にはなにもなかった。表現すべき自己も、伝えたい言葉も、模倣すべき先達も、身を寄せるべき集団も、抗うべき思想も、なにひとつ。
 彼らの言葉を理解することだけを考え、その目的のためだけに生きてきてしまった。そして独りになったいま、それも意味を持たなくなった。
 訪れる者のなくなった小屋で、紀滋架は無為のまま机に向かっていた。空洞の自分。これまで自分が世界に遺してきたと思ったことも、そんな自分から出たものならば誰にもなんら伝わることなどないだろう。遺ってはいない。自分の内にも外にも、なにもない。だから彼らの言葉も自分の中を素通りしていくだけだったのだ。
 意味のない自分だと思った。このまま消えてなくなろうと思った。
 そう心に決め、ふと気がつくと紀滋架は無意識に筆を取っていた。最期の書をしたためようとしたのか、それは自分でもわからなかった。

〈 こ と ば 〉

 力なく、小さく微かな字で紙に書いた。誰にもつながることのなかった、紀滋架の言葉。世界との橋渡しにならなかった、自分だけの言葉。
 しばらく紀滋架はその文字を見つめていた。言葉は紀滋架にとって始まりであり、最期であり、呪いであり、癒しであり、最大の敵であり、一番近しい友であった。紀滋架はもう一度、文字をなぞって書いてみた。ことば。今度は少しだけ心をこめて。
 いつしか紀滋架は我を忘れ、言葉を、文字を、文章を書き始めていた。不思議な感覚だった。筆は紀滋架の意思を離れ、ひとりでに動いているようだった。紀滋架の中の言葉が、紀滋架の眼を、腕を、身体を操ってそうさせている気がした。紀滋架は筆の運びのままに膨大な文を綴っていった。

〈私にはなにもなかったのです。だから、書くことしかできませんでした。〉

 やがて時が過ぎ、紀滋架の筆はそう結んで動きを止めた。
 紀滋架は深く息を吐いた。手から筆が滑り落ちた。握りなおす力も残ってはいなかった。ここに書いたものが、最期の言葉になる。もう読みなおす力もない。……自分は読みなおしたいのか? 紀滋架はなんだか可笑しくなって口元を歪めた。
 机に突っ伏した紀滋架の目からは、涙が一筋こぼれていた。いまここに文字になったものは、自分の全てだろう。これらは、世界の広さに希釈されることなく、紀滋架の言葉として遺るかもしれない。
 だが、これで全てか。
 最期に書かれたこれだけで自分の全てなのか。もっと書きたかった。まだ書けることがあるはずだった。これまでいつもからっぽの自分の中を過ぎていったなにかを、いまようやく掴みかけたというのに。なぜ今になって自分は――――

 それが初めて、世界と紀滋架が交わった瞬間だった。
 紀滋架は世界を感じ、世界は紀滋架を永久に受け入れた。

(おわり)





「寝不足で死んだ奴はいないよ」
 以前そう言って笑った彼は、本当に眠るように死んでしまいました。





 誰かが作った道だけど、
 歩くのは自分だから。





「あのさ、ムツゴロウ王国ってさ」
「な、なんだよ突然。正しくはムツゴロウ動物王国がどうした」
「いや……王国っていうぐらいだから当然、王様がいるわけだろ」
「王制……なのか?」
「やっぱりムツゴロウさんが王なのかな」
「そうに決まって、いや、ちょっと待てよ……。動物の王国なんだから、動物に主権があるわけだ。ムツゴロウさんはむしろ動物に奉仕するための公務員みたいなものじゃないか。王じゃないよ」
「でもさ、人間だって動物の一員だという考えに基づいていなかったっけ、あの王国」
「となると、やはりムツゴロウさんが?」
 ドタドタドタ。バターン!(ドア開く)
「た、大変だ二人とも! 大ニュース!」
「なになに?」
「どうした?」
「ムツゴロウ王国が、日本から独立したよ!」
「なっなんだって!」
「マジかよ!」
「マジマジ。テレビでもネットでもこの話題で持ちきりだぜ。見てなかったのかい」
「そ、それで独立した王国の権力は誰が握ってるの?」
「まだ正式に発表されてないんだけど、それがさ、噂によると……ごにょごにょ」
「う、うわああああ!」
「えええ、ええええー!?」

 いったいムツゴロウ王国は、日本はどうなってしまうのか。
 答えは明日の朝刊で!



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