#006



つめこめるだけつめこんだら
また旅に出よう。
補給はないと思ったほうがいい。
からっぽになったら戻ってこよう。





【面倒課】

「あー。犯人に告ぎまーす」
 濃い朝もやに溶け込んでしまいそうなほど、その声は眠たく響いた。
 街は夜明け前で薄暗い。四角いガス灯が、そこかしこでぼんやりとした灯りを投げかけている。石畳の道にはまだ、蒸気車が走り抜けるタイヤの音もない。
「あのー。犯人、聞いてますかー」
 もういちど、その声は響きわたった。若い男の、とぼけた感じの声だ。
 街の広場の、中心部だった。
 そこに屹立する市長の大きな銅像に向かって、いま、男は拡声器で叫んでいた。
「おーい、犯人さーん。そんなとこにいたら危ないですよ、下りてきましょうよー」
 いや、像に呼びかけているわけではなかった。
 見れば、高い位置、銅像の顔の部分に、一人の中年男が取り付いている。市長の像は巨大だった。顔が、その男の身長ほどもある。巨大な青銅の市長は偉そうなヒゲとメガネを偉そうにくっつけ、無駄に勝ち誇ったような笑顔を無駄に浮かべて夜明け前の広場に君臨していた。
 市長の顔にへばりついた男は、下から呼びかける若い男に向かって叫び返した。顔を真っ赤にして、口からつばを飛ばしながら。
「うるせえ黙れっ! 俺はなあっ、この市長のヒゲが、この偉そうなヒゲが! ど〜しても許せねえんだよ! なんだこんなもの、こうしてやらあっ!」
 その場を取り巻いていた数十人のヤジ馬が、わっ、と沸いた。それは悲鳴にも聞こえたが、むしろ歓声に近い気もした。
 市長の、無駄に立派に天を突いていたカイゼル髭の片側が、ぐにゅっ、と下向きに曲げられてしまった。中年男は、市長の顔のとなりで勝ち誇ったように哄笑した。ヒゲとメガネがないだけで、ミニスケールの市長のような表情だった。
「ぐわははハァーッ! ざまーみやがれ、いつもオレ様を偉そうに見おろしてやがるから、こうなるんだ! 次は左のヒゲだ! やい、そこの若造、歯噛みしながら見てやがれっ、うりゃあっ!」
 ぐにゅーっ。
 市長の両のヒゲが、無慈悲に下を向いてしまった。心なしか、偉さが半減してしまったかのようだ。その様子を見ていた若い男は「このぐらいでちょうどいいかもな」と思ったが、それは口にせず、もういちど拡声器を通して叫んだ。
「あー、犯人に告ぎます。連続市長ヒゲ曲げ事件、現行犯であなたを特別確保します」
 中年男は、「あぁん?!」と眉根を寄せ、バカにしたような表情で市長像から見おろした。赤っぽい頭髪を豊かに生やした青年が見え、ハゲた中年男はさらに頭にきた。
「んだとォ? なんの権利があってテメエにそんな――」
 それに対し、赤髪の青年はケロリとして答えた。長くて黒いコートの裾が、ケロリ、じゃなくてヒラリと舞った。
「あ、僕は面倒課なもんで」
 拡声器を通し、とぼけた感じまで増幅されたような声だった。
 一瞬、中年男は魂が抜けかけた表情になる。いや、本当に抜けてしまったのかもしれない、だがどちらにせよ次の瞬間には――。
「……ウッ」
 表情が、一気に硬直した。そして――。
「い……嫌だ、お前らに捕まるのだけは嫌だ! 絶対に嫌だ! 嫌だ嫌だあー!」
 歯医者を嫌がる子供のように、男は市長の顔にしがみついてわめいた。もとい、泣きわめいた。これはもう、大人の嫌がり方ではない。みっともない。
 青年は男に対し、「まったくしょうがない子ねえ」と慈しむような表情を向け、もう一度、拡声器を構えた。
 そしてその身に一身に、市民の期待のまなざしを受け、ヒゲ曲げ犯に向かってとぼけた声で、しかしきっぱりと言い切った。
「キミのような人がいるから、僕は、ごはんを食べられるんです。ありがとー!」
 待ってました! とばかりにヤジ馬が沸いた。拍手が巻き起こる。それは賞賛の拍手というよりは、サーカスを見て楽しんだ時の拍手に近いものだった。
 中年男は、もう泣き疲れたようにうなだれて呟いていた。その表情からは、偉さが半減した市長よりもなお、威勢や威厳が失われていた。
「いやだ、いやだよ……警察を、誰か警察を呼んで……」
 中年男のハナ水が、いま登ってきた朝日にキラリ、と輝いた。
 市長のヒゲも輝いた。下向きに。キラリ。
「……さーてと。じゃあ、さっさと確保して朝ごはんにしようかな」
 赤髪の青年は、かたわらのバッグからカギ爪のついたロープを取り出し、朝ごはんの、じゃない、犯人確保の準備を始めた。その様子にはちっとも焦りが見えず、やはりとぼけたものだった。
 今日も街に、朝が訪れようとしている。
 面倒課職員の朝は、今日も早い。





「よっ。結婚おめでとう」
「おー、ありがとう!」
「なんだよー、ユッコと付き合ってたなんて気がつかなかった。憎いぜ、このやろ〜」
「はははは、いやあ」
「憎い憎い」
「あはは」
「憎い憎い。憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いぃぃ……!」
「お、おい……」





【ソース不明】

 半世紀ほど前にインダス川流域で発見され、長らく古代史上の謎とされてきた石版“ペトワックストーン”について、関係者は31日、石版に刻まれた文章を解読したと発表した。

 ペトワックストーンは紀元前6000年前後のものと推定され、1メートル四方ほどの石版表面に約2万字もの文字が掘り込まれている。既知の文明のいずれにも属さない体系の言語によって記されており、これまでの古代史を塗り替える可能性を持った、いわば“考古学上の爆弾”と評される遺物だった。

 しかし解読のための比較検討対象がなく、文字の並びにも法則性がほとんど見出せないことから、解読は非常に困難であるとの見方が強かった。このたび解読に成功したとされるチームの関係者によれば、ある事実に気づいたのはごく最近になってからであり、そのことが解読のきっかけになったという。

 石版で最も多用されているのは「△」に酷似した文字で、必ず組となって「△△」という形で用いられていることはこれまでも知られていた(△△で単体とする説も)。が、この語の前後にある文字が常に一致しておらず、意味を固定するまでに至らなかった。これまでにも様々な解釈がなされてきたが、どれも決定的なものとなっていない。バビロニアのハンムラビ法典のような法律関係の文章であるという説が最も有力であるが、それが経験則でしかないのも現状である。

 今回解読に成功したとされるチームは現時点で、全文の現代語訳公開に非常に慎重な姿勢を見せている。それに対して解読成功は虚偽であるとの見方も強まっているが、この件に関しては、次回の世界古代史考古学会において何らかの議論がなされる模様である。

  *  *  *

■ 城幡大学考古学部・盆沢教授の談
「これまでもペトワック文字を解読したという報告が様々なグループからなされていたが、どれも失敗だと言わざるを得なかった。もし解読できたとすれば、考古学上、ひいては現代文明においても大きな価値をもつこととなるはずだ。だが今回も、まず期待するのは間違いだと思う」

■ 解読チーム・元関係者の談
「今回の解読は、まず完全なものであると思う。彼らが発表に踏み切れないのは、この碑文の巨大すぎる影響力を憂慮してのことだ。文明の爛熟、退廃というものは、数千年前から全く変わっていない。やはり鍵は『△△』だった。一種の表意文字である。これが、なにか動物の耳に見えないだろうか。あの石碑はただ単に、当時の特殊な嗜好について百人が百様、勝手に意見を述べただけのものだった。それに気づいたとき、私は解読から一切手を引いてしまった。今後も関わることはないだろう」





「いい知らせと悪い知らせがあります」
「悪い知らせから聞こう」
「はい。いい知らせが特にありません。これが悪い知らせです」
「いい知らせは?」
「はい。悪い知らせが特にないことです。なんちゃって!」
「……つまらん。0点」
「ありゃりゃー、そいつは悪い知らせだ。いい知らせはありませんか?」
「うるさい、帰れ!」





【四】

 今なら誰も見ていないだろうと思って、こっそりと屋根に上ってみた。
「あれっ」
「やあ」
 そこに先客がいるなんて考えもしなかった僕は、屋根の上に顔だけ出し、はしごに足をかけたまま固まってしまった。どうしていいのかわからずに瞬きだけを繰りかえす。
「どうしたんだい、あがってこないのかい」
「えっ――ああ、うん」
 うながされ、ようやく僕ははしごを登りきった。
 予想外の事態に、屋根に上ろうとした理由なんてすっかり吹き飛んでしまった。屋根からの景色も目に入らず、僕の意識はそいつに釘付けになった。
「あっ、あの……」
「きみ、なんでこんなとこに上ってきたの?」
 まさにそれを聞こうとした僕は、逆に先制攻撃をくらった。肩透かしもいいところだ。
「なんで……って、きみこそ、どうしてこんなところにいるんだよ」
「僕は、きみが来ると思ったからだよ」
「はあ」
 僕は目を凝らし、そいつの顔をじっと見てみる。やっぱり、どう見ても知らない顔だ。ひょっとしたらこいつ、僕のことを誰かと勘違いしてるんじゃないのか。
 そんなことを考えていたら、そいつはスタスタとこっちに向かって歩いてくる。僕の顔を間近で覗きこみ、にっと笑った。
「きみ、屋根の上が好きなのかい」
 いや、人なつこそうだが、よく見ると目は笑っていない。底冷えのするような笑顔だった。思わず身を引いてしまう。
「いや、好きとかそういうのじゃなくて、ただ、どんなとこかなって」
「なんだ。気になってたのなら、もっとはやく上って来ればよかったのに」
「そりゃそうかも知れないけど……」
 僕はちらりと、はしごを振りかえる。
 そして、目を疑う。
 そこにあったはずの、今しがた僕が登ってきたはずのはしごがない。屋根の上をぐるりと見回してみたけれど、どこにも見あたらない。
 僕は、そいつに向きなおる。ニヤニヤ笑いが目に入る。
「べつに、僕がやったんじゃないぜ」
 そいつは僕がはしごをかけたあたりまで歩いていくと、まるでそこに見えないはしごがあるかのように、何もない中空を掴み、足をかけた。
 そして最後に、あっけにとられている僕に向かい、こう言って笑った。さっきと違う、温かみのある笑顔。
「きみの顔を見たおかげで、ここから出ていく方法を思い出した。ありがとう」
 何も答えられないでいる僕を残し、そいつはさっさと下りていってしまった。
 僕はしばらくどうすることもできなくて、ぼーっと立ち尽くしていた。
「そうだ、はしごを……」
 ぼんやりと呟き、あいつが下りていったあたりを確かめてみた。何かを掴もうとした僕の手は、むなしく空を切った。
 飛び降りようかと思ったが、いつの間にか眼下は雲の海だった。
 僕は屋根にへたりこんだ。
 へたりこんで、目の前を流れていく雲を眺めた。
 たぶん、普段と少し違う景色が見たかっただけなんだ。ほんのちょっと見られればそれでよかった。だから、上ろうとした。
 いま眼前には、普段見られない景色が広がっている。願いは叶ったわけだ。喜ぶべきなんだろうか。いや、喜べ。喜ばなくてはならない。
 僕は、無理矢理に笑みを浮かべてみる。
 自分で自分の顔が見えるわけがないが、はっと気付いた。
 そうだ、あの、笑顔は――。
 くっくっと、笑いがこみ上げてきた。
 暗く楽しい気分で、想像してみる。
 この屋根に、見えないはしごが下から上から、何本も何本もかかっている。こんなにたくさんのはしごがあるのに、僕はそのうちの一つとして使うことができないのだ。
 僕はここからの光景を目に焼き付けておこうと思った。時間はいくらでもあった。
 ――さて。次のあいつは、どのはしごを伝って来るのかな。





「助手くん、ついにやったぞ。ヒトの寿命を二倍にする方法を発見した!」
「ほんとですか! やりましたね助教授!」
「ああ、誕生日パーティーを年に二度行えばいいんだよ!」





いいわけとか
ごたくとか
理由とか
打算とか
利害とか
悔しさとか
劣等感とか
驕りとか
常識とか
小細工とか
怒りとか
悲しみとか

そういうものを全て吹き飛ばしてしまう
強い風

風を待つ気持ちすら吹き飛ばしてしまう
強い風





♪ 『昨日のズボンはもう穿けない』

  ルルル lalala Aha-
  偉そうなこと わかってるようなことを
  日記に書いた次の日は
  だいたいというか絶対 恥ずかしさに身悶えするのね

   (セリフ)この日記を書いたのは誰だァ!!!

  Ah- 見なかったことに 見なかったことに
  街で会っても 知らんぷりしてください

  なにくわぬ顔で 埋めに行こう
  昨日の自分を 埋めに行こう

  古人曰く 昨日のズボンはもう穿けない
  だから俺は ズボンを脱ぐね
  昨日の俺の ズボンを脱がすね
  そして埋めたね 古きズボンを

   (セリフ)あれ? なんで俺、トランクス一丁なんだっけ?

  昨日の晩ごはんも思い出せない 楽しい大脳
  楽しく せつない 三十路way
  人生の8割は自己BENGO
  Yes, I will! fmmu...





「たとえば、さ」
「ん、たとえば?」
「誰でも一度は考えることだと思うんだけど、たとえば、こう、かめはめ波ー、とかやるじゃない?」
「ああ、ドラゴンボール」
「そうそれ。あれで、波ー、って本当に出ちゃったらどうする?」
「大惨事だな」
「だよな……。こないだ社会科見学で石油コンビナート行ったじゃん? 俺、実はあの時さ……」
「え! おまえまさか、あそこでかめはめ波?!
「い、いや。出なかったよ?」
「バカが! 本当に出ちゃったらどうする気だったんだよ、俺ら死んでたぞ絶対! シャレにならねえー!」
「ほんと形だけだよ、形だけだってば……でも出ちゃったらやっぱり逮捕とかされちゃうのかな」
「あたりまえだろ。刑事事件だよ」
「それマジ怖いな……気をつけるよ」
「頼むぜほんとに。TPOわきまえろよな」

「おい、そこの二人。授業始まってるぞ。アホな話してないで席に着け」
「なんだよ、うるせえな。おい、撃っちゃえ撃っちゃえ」
「だな。かめはめ波ー!」
「だめかー。出ないか」
「出ないなー」

(つづく)

《次回予告》
 なぜ僕らの手からはかめはめ波が出ないのだろう。少年たちはその原因を突き止めるべく、独自に研究を重ねていった。困難、挫折、発想の転換。そしてついに運命の日がやってくる。折りしも外宇宙より凶悪な宇宙人も来襲。こいつら全員本気だ。冗談じゃない。





 悪い結果で終わった出来事でも、その渦中にあったほんの些細な、だけどほんとに嬉しかったことを何かのきっかけで思い出したりすると、馬鹿みたいに泣けてくることがある。どうして忘れてたんだろう、とか、ああ懐かしい、とか、そういうのすら後付けで、思い出が脳を経由せずにそのまま涙腺からあふれ出るような感じだ。
 いちいち理由付け関連付けされた記憶なんてそう多くない。リンクの切れてる楽しい思い出もまだいっぱいあるのかもしれない。ふとしたことでそういった思い出を辿れることがあったり、ひょっとしたら今を思い出して泣けることがあるかもしれないのは、とても楽しいことだと思う。





 この世に生まれ落ちたこと、それにはどんな意味があるのか。僕はずっと気になっていたのだ。存在とは。運命とは。
「母さん、僕はどうして生まれたの?」
「あらやだ、この子ってばもうそんなこと知りたがっちゃって!」
 その日から僕は難しいことを考えるのをやめた。学校生活も順調だし、それなりに楽しくやっている。





「そうであること」と同じぐらい、「そうでないこと」から得られるものは多いのかもしれない。劣等感の塊みたいな自分がちょっとでもやる気を保っていられるのは、そのおかげなんだろうかと思う。



#006

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